ゲーム機の歴史【1977年】
ゲーム機の歴史【1977年】をご紹介します。
1977年:テレビゲーム15
当時の任天堂はトランプや花札だけではなく、
家庭用ゲーム機も発売していました。
三菱電機との共同開発したゲーム機が「テレビゲーム15」です。
この15という数字には15種類のゲームが
内蔵されていることを意味しています。
まだソフトの概念がなく、
テレビに接続して内蔵のゲームを楽しむだけのものでした。
価格は15000円と当時では高めでしたが、
売上は好調だったようです。
1977年:テレビゲーム6
「テレビゲーム15」の原価版にあたるのが、
この「テレビゲーム6」になります。
価格は9800円であったが、
「15」でケーブル接続だったボリュームコントローラーは、
本体に固定されるなどコストダウン仕様となっています。
しかし、コストダウンを図っても
このゲーム機は価格は赤字だったようです。
実は「6」は「15」を売るためのお試し用として販売されたものでした。
最初は客を安価な「6」で惹き付けておいて
それより高性能で、しかも5000円ほどしか価格の違わない「15」に
目を向かせるために作られたものです。
1977年10月発売:アタリ2600
「アタリ2600」はカートリッジ交換式家庭用ゲーム機として、
世界初となります。
当時、日本円で6万円ほどする高価なものでしたが、
ミリオンセラーのソフトも多く、
当時としては成功したゲーム機といえます。